番外編講義
番外編講義 −1−
行動療法を目の敵にする我が国の臨床の風土の中で、40年近く戦いを続けてきました。
もう歳も歳なので、私には余命がありません。関西、北陸、愛知と行動療法普及のために尽力してきましたが、国際的にはスキナーもウォルピもアイゼンクも世になく、国内的には梅津耕作もあの世の人です。
我が国の心理臨床家の多くは、精神分析か精神分析モドキの人たちで、口を揃えて、自分たちは「症状を問題にしないのだ」と言い切ります。その陰で、多くの子どもさんたちは適切な治療、適切な訓練を受けられず、長じて廃人同様の人生を送っています。
これはまさに犯罪であり、米国では多くの精神分析家が訴訟に負けて賠償金を払わされています。怖いことには、米国で食いはぐれた人たちが職を求めて臨床後進国である祖国にどっと舞い戻ってくるのです。インドでもニュージランドでも台湾でも通用し難いセラピーが、我が国だけでは立派に通用するからです。
野球に打率があるごとく、何故、臨床の世界には治癒率がないのでしょうか?症状が親子の関係性を保っているのだから、その症状を取り去るなどということは罪悪の他の何ものでもないとの戯言に、どれだけの人々が惑わされてきたことでしょうか?
親子の関係性って何なのでしょうか?関係性さえ保たれれば、子どもさんはことばを獲得しなくってよいのでしょうか?生涯を廃人で終わってよいのでしょうか?
本来関係性の樹立は子どもさんの適応性を作り上げる手段であって目的ではないはずなのです。個人で付き合ってみると、精神分析家も決して悪い人ではないのです。皆さん真剣にクライエントの皆さんのことを考え、社会に適応できるようになることを願っておられると私は考えるのですが・・・・。
麻原教祖はポアとは魂を救うことであって決して殺人であるとは考えていなかったのです。我々の側から見れば、プレイセラピーと称する遊びも、心理療法の人たちは効用を確信していて、まさか自閉症児を廃人に追い込む手立てだとは思ってもみないのです。4年も5年も何の変化も生じることなくセラピストの自己満足だけに奉仕している子どもたちを見ていると、怒りを越えて、心底悲しくなってきます。こんなことを書き連ねると、またまた、どこかの管理職から、私のゼミのホームページを削除するようお小言を頂戴することになるかもしれません。
番外編講義 −2−
私が行動療法以外の立場を認めていないといった誤解が、皆さんの中にあるようなので訂正しておきます。
考え方は多様にあってよいのです。私、が言うのはその考え方が他の科学者の同意が得られる手続きの下で検証の操作を得ているかどうかです。
成長期にある大切な時期に2年も3年も成果のないままに子どもさんを抱え込んでいる行為は犯罪行為そのものですが、成果のないにもかかわらず保護者の方々に貴重な時間と多額の費用を浪費させている手練手管そのものには、人を引き付ける技術として、学ぶべきものがあります。詐欺師は本物よりも本物らしく見えるものです。
仏教に“慈悲”という言葉がありますが“慈悲”の“慈”は正の強化のことです。そして“悲”は嫌悪状態から人を救い上げることで、行動分析の用語では負の強化に当たります。負の強化というのは罰とは違って、その操作によって反応の出現率が上がる操作です。人が望ましい行為をしたとき不安が取り除かれたり、嫌悪刺激の到来が延期されたりする操作をいいます。ハルマゲドンから信者を救済したり、苦悩からクライエントを救い上げたりすると信じ込ませる行為がこれに当たります。正であれ負であれ、強化と言う用語が使われるときには反応頻度を上げる操作です。
行動療法家というのはまじめすぎるところがあって、何事にも真剣すぎて面白味を欠きます。それから効果の出現が早すぎて、生じた子どもさんの変化に親の方が対応しきれないところもあるのです。ときには成果を急ぎ過ぎないでゆったりと変化を待ち構えることも必要です。他の技法を批判するだけでなく好ましいところは見習いましょう!